全日本学生弁論大会
 

大会趣意

学生弁論の存在意義とは何か。
学生弁士諸君は何故に演台へ登るのか。

 学生弁論の起源は、時を隔てて明治時代の動乱期にまで遡る。今なお連綿と残り続けている学生弁論部の多くは、明治期における急速な近代化の歪みから生ずる世の不条理を憂いた学生らの手によって生まれたものだ。所詮は学生の身。
己の力の限界を知りながら、それでもなお自らの言説によって遍く社会を少しでも変革し、苦しむ人々をこの手で救いたい。学生らの熱い意志が噴出した時代。非暴力的な社会変革の重要な手段として、学生弁論はその産声をあげたのである。

 時は流れて現在。学生弁士による説得活動の手段が演説のみだった時代は100年以上もの時を経て遠に過ぎ去った。今や情報化の進展に伴い、一般人が誰でも容易に多様な情報メディアを通じて意見を発信できるようになったのが現代社会である。
このような時代状況の下では最早学生弁論に存在意義はなく、学生弁士に宿っていた熱い意志さえも冷え切ってしまったのであろうか。

 その答えは断じて否である。

 多種多様な価値観や背景、イデオロギーを持った学生が一堂に会し、より良き社会を構築していくための錬磨された理念とそれに基づく一貫した社会変革論を、演台に登壇した学生弁士が雄弁に訴える。そうした弁士の訴えを基に、弁士と聴衆、あるいは聴衆同士の間で活発な議論が生まれる。こうした学生弁論大会の場の重要性は、情報化が進み多様な媒体を通じて意見の発信や受信が行われるようになった現代社会においてもなお、決して色褪せることはないだろう。まして現代社会はますます複雑化し、多様な社会問題の解決が求められるようになった時代である。そうした時代であるからこそ、社会変革に対し確固たる意志を持つ学生が、忌憚なく各々の言説を闘わせる場としての学生弁論大会はその存在意義を大きくし、学生弁士の想いはますます熱く燃え上がるのである。

 その上で全日本学生弁論大会は、第一回から七回目となる本大会に至るまで、数多くの学生弁論団体の共催と協力によって運営が成り立ってきたところにその最大の特徴がある。弁論大会の共催は、多様な価値観や背景を有する諸大学弁論部の英知を総結集させることが可能となる。その利点を活かし、諸大学弁論部は各々の主催する大会の運営や社会変革者としての日々の研鑽に多忙な中で、それでもなお学生弁士が説得活動を行う貴重な機会を最大限に創出するため、全日本学生弁論大会を開催し続けてきた。先述した通り、学生弁論大会という場の重要性がいや増している現代社会であるからこそ、弁論の機会の最大化に尽力してきた諸先輩方の思いを継ぎ、有意義な全日本学生弁論大会を開催し続けることには大きな意味があるはずだ。

 第七回全日本学生弁論大会。本大会に集う弁士達の弁論には、多様な価値観を有する他者をも自らの社会変革論に巻き込むことができるような、逞しき説得力を求める。そのためには、弁士の理念に対する情熱、他を圧倒する声調、反駁に耐えうる強固な論理を始めとした、多様な要素が求められることだろう。最後に、本大会が学生弁士諸君の理念に対する情熱と錬磨された社会変革論がぶつかりあう場として、真に充実した場になることを心から祈り、本大会の趣意とさせていただく。

第七回全日本学生弁論大会実行委員長
早稲田大学雄弁会
野村宇宙