全日本学生弁論大会
 

慶應義塾大学辯論部藤沢会

弁論部の歴史

 そもそも、慶應義塾大学弁論部の起源は、 塾祖・福澤諭吉が1874年(明治7年)6月27日に「三田演説会」を発会させたことに遡ります。 「三田演説会」は、明治維新直後の当時、未だ揺藍期にあった日本国の真の独立を企図し、 近代の文明によって国民を啓蒙し、もって開けてゆく時代の指標たるべき人物の養成を目的としていました。

 また、これを受けて、塾生内でも尾崎行雄の主宰する「協議社」、犬養毅の代表する「猶興社」、 その他「自由社」、「雄弁会」、「蘇張会」等の塾内弁論団体が各々活発な弁論活動を展開しました。 こうした弁論団体は、近代化の途上にあった我が国の国論に大きな影響を与え続け、1907年(明治41年)10月15日にようやく現在の慶應義塾大学「弁論部」が結成され、2011年に日吉・藤沢に分かれて活動しております。

 そして、「三田演説会」発足から百数十年が経過した今日においても、福澤の理想と意気を忘れることなく、 活動のより一層の充実発展を遂げようとしています。

藤沢会の歴史

 慶應義塾大学辯論部藤沢会の活動は大きく分けると、主に定例会、弁論大会出場のふたつによって成り立っています。

  • 定例会
  • 毎週火曜日に行われている藤沢会のもっとも中心的な活動です。定例会の基本的な流れは、各会員が持ち回りでレジュメを切り、それぞれの内容に関して議論するというものです。藤沢会は興味分野の異なる会員が多いため、定例会の内容も多岐にわたります。
  • 弁論大会
  • 藤沢会は弁論大会において会員のやりたい内容で弁論を行わせています。大会前には会員みんなで弁士の原稿の添削をし、会全体で弁士を支えています。

 これらの活動を通じ、会員は自己研鑽に励んでいます。